本丸跡からみる鳥羽湾
鳥羽に残る九鬼氏ゆかりの史跡を訪れて、
海賊大名九鬼嘉隆の息吹を感じてください。
  • しま おはまじょうあと
    志摩 小浜城跡
    志摩十三地頭の1人小浜久太郎の居城。久太郎は、嘉隆によって攻められ落城、海路三河に逃れ、武田信玄、のちに徳川家康に仕えた。
  • くきよしたかどうづか
    九鬼嘉隆胴塚
    九鬼嘉隆の胴を葬ったとされる墓は和具漁港の町中にあり、現在は五輪塔が建てられている。墓の左側には嘉隆が切腹したとした場所とされる洞仙庵跡の石碑も見られる。
  • ちあらいいけ
    血洗い池
    九鬼嘉隆が自刃した際に、その刃を洗ったとされている池。水がみるみるうちに真っ赤に染まったといわれている。
  • くきよしたかどうづかくびづか
    九鬼嘉隆首塚
    九鬼嘉隆は「鳥羽城の見えるところに首を埋めてくれ」との遺言を残し、答志島で自刃。鳥羽城を一望できる築上山の山頂に埋葬された。
  • くきすいぐんひすとりーとんねる
    九鬼水軍ヒストリートンネル
    九鬼嘉隆の一生を描いた壁画や鳥羽・志摩の海賊分布図などを鑑賞できる地下道。
  • とばしれきしぶんかがいどせんたー
    鳥羽市歴史文化ガイドセンター
    鳥羽市の歴史・文化を知ることができる施設。鳥羽城の御城印はここで購入できる。2階の郷土資料展示室では九鬼嘉隆の生涯についてパネルで紹介しているほか、信長が九鬼に命じて建造させた鉄甲船や日本丸の模型、鳥羽城の絵図など関連資料の展示を行っている。

    開館時間:午前9時から午後4時火曜日・年末年始休館

  • かたじんじゃ
    賀多神社
    鳥羽城主であった九鬼嘉隆が何度も戦勝を祈願したと言われる由諸ある神社で、鳥羽春祭りには神社の例祭が行われている。能面や衣装、舞台は三重県の有形文化財に指定されている。また、朝鮮出兵の際に、嘉隆が境内にあった龍頭松という大樹を使い軍船の船床に使った。その後、感謝の意を込めて杉1000株が植えられた。境内には「九鬼の千本杉」の1本が残る。
  • じょうあんじ
    常安寺
    もとは大福寺と呼ばれ、文禄年間(1592~1595)に九鬼嘉隆の菩提寺となる。嘉隆の逝去後、追善のため息子の守隆が改修し、常安寺と改めた。本堂の裏には九鬼家の廟所がある。
  • あいばし
    相橋
    武家屋敷から鳥羽城に登城する際に使った橋。城にとって陸側の玄関口であった。明治時代以降に堀の大部分は埋め立てられたが、現在でも相橋周辺には鳥羽城の堀の石垣が一部残っている。
  • とばじょうあと さんのまるひろば
    鳥羽城跡 三の丸広場
    鳥羽城跡の玄関口として整備された広場。
    なお、背後にある段々の石垣は近代以降に整備されたもの。
  • とばじょうあと かろうやしきあと
    鳥羽城跡 家老屋敷跡
    家老屋敷のあった場所。野面積みの石垣が残っている。
  • とばじょうあと
    鳥羽城跡
    九鬼嘉隆が1594年(文禄3年)に築城した九鬼水軍の本拠地となった城。大手門が海側に突出して造られるという全国でも珍しい形をしており、この大手波戸水門が出入口となっていた。太平洋につながる海城。
  • とばじょうあと ほんまるあと
    鳥羽城跡 本丸跡
    鳥羽城の本丸跡。この場所に3層の天守と本丸御殿があった。ここからは鳥羽湾を眺望できる。
  • とばじょうあと ほんまるみなみのいしがき
    鳥羽城跡 本丸南の石垣
    本丸の石垣が残っている。大きな水抜き穴を確認できる。
  • こうがくじ
    光岳寺
    寺宝である「日本丸の板戸絵(4枚)」は豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、九鬼水軍の「日本丸」という軍船に設えられた板戸とされ鳥羽市指定有形文化財に指定されています。
  • がんこうざんこぞうじ
    丸興山庫蔵寺
    地元の人から「丸山さん」の愛称で知られ「子育て寺」ともいわれる同寺は、朝熊(あさま)山・金剛証寺(伊勢市朝熊町)の奥の院として826年に弘法大師が虚空蔵菩薩(ぼさつ)を祭り、開山したとされる。1322年に雲海上人によって中興、天正年間には九鬼嘉隆が鳥羽城築城の地鎮と安全の祈願を命じた。1561年建立の本堂は1920年(大正9年)に国の重要文化財の指定を受けた。
  • くきいわくらじんじゃ
    九鬼岩倉神社
    かつて九鬼家の居城だった「田城」があった場所にあり、九鬼家の本家にあたる澄隆がその叔父・嘉隆に暗殺されたという伝説が残っている。城跡には澄隆の怨霊を鎮めるために九鬼総領権現が祀られている。
  • おんでんがおか
    隠殿岡
    九鬼嘉隆の甥である澄隆の霊を弔うため、お盆の8月15日に松明行事を伴う大念仏を行っていた場所である。
  • ごろうくろうのはか(おんでんがおかない)
    五郎九郎の墓(隠殿岡内)
    九鬼嘉隆の息子である五郎九郎の墓。五郎九郎は嘉隆の五男で、金剛証寺の住職を務めた人物である。
  • くきすみたかのはか(おんでんがおかない)
    九鬼澄隆の墓(隠殿岡内)
    九鬼嘉隆の甥である澄隆の墓。澄隆は嘉隆から九鬼家当主の座を追われ、暗殺されたとされる。
  • しま うらじょうあと
    志摩 浦城跡
    志摩十三地頭の1人浦豊後の居城。
    浦豊後は、九鬼嘉隆によって攻められ落城、自刃した。